日本のお風呂の歴史(古代編)
日本のお風呂の習慣と禊とには深い関係があることはよく知られています。
イザナギが黄泉の国の不浄を洗い流すために、海の中で禊をしたのが最初です。
また、皆さんが良くご存じの「因幡の白ウサギ」の神話でも、皮をはがれ塩水で洗うように言われた白ウサギを
大国主命がきれいな真水で身体を洗い、蒲の花粉を敷きしめた上に寝転ぶと元に戻る。とした逸話も禊につながるものと言われています。
どちらの「禊」も清潔にするというキーワードが存在していると思います。
また、時代はうんと下って、日本書紀には、舒明天皇が舒明3年(631年)に摂津の国有間温湯(現在の有馬温泉)に行幸されたとの記録があり、これが天皇の温泉地行幸の第1号とされている。
さらに、孝徳天皇の皇子有間皇子が斎明3年(657年)牟婁温湯(現在の白浜町湯崎温泉)に病気治療に出かけた記録もあります。また、伊予国風土記には、推古4年に聖徳太子が僧恵聡、葛城臣と共に伊予の湯(現在の道後温泉)に浴し、碑(伊予温泉碑)をたてたという記録がある。
光明皇后(701年~760年)の施浴についての話は有名である。「東大寺縁起」に記録があるが伝説的には、皇后は大和の国の国分尼寺法華寺の浴堂で施浴を催し、みずから千人の浴人の垢を落とすことを誓った。最後の一人がライ病患者であったが、その身体の膿を吸い出した。このとき、たちまち浴場内に紫雲がたなびき、そのライ病患者は金色の仏となった。皇后が合掌礼拝するうちに雲にまぎれて消えたというのである。
このように、日本の入浴は、宗教色の強いものであったことが窺えます。
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